2015年6月26日金曜日

商工会と1960年代の吉祥寺

昨日の記録と前後してしまいますが、今日の午前に、コミュニティ演習の担当教員である渡邉と、メディア・リテラシー演習の担当教員である見城先生、そしてむさしのFMのディレクターの方の3人で、商工会議所の目黒さんを訪問しました。本来は学生も一緒にと思っていたのですが、必須の講義が重なってしまい、休んでもらうわけにもいかないので教員のみでの訪問となりました。

目黒さんは現在79歳。卒業後メーカーに就職し、オリンピックのころに家業の呉服屋で働くために吉祥寺に戻られて以来、吉祥寺の第一線でご活躍されています。
1960年代から現在に至るまでの変遷について伺うとともに、オリンピック当時の吉祥寺の様子についてもお話を伺いました。オリンピックのために商工会が何かを行ったということはほとんどなく、開催時期にも五輪が町中にあふれるなどといったことはなかったこと、そして当時は町中のいたるところで開発が行われており、その開発が落ち着くまでには早くとも1974年の伊勢丹開業、あるいは1980年のパルコ開業まではかかったことなどを伺いました。
オリンピックの盛り上がりをという言説自体が、どこまでの射程をもつものなのか、改めて問い直す必要が理解できる貴重なお話でした。

インタビューは武蔵野市商工会館で行いました


さて、コミュニティ演習はいよいよ期末報告会に向けてラストスパートとです。学生はすでに報告準備に入っています。さて、どんな報告になることでしょう。ご期待ください。

文責:渡邉大輔(担当教員)

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