2015年7月21日火曜日

最終授業!!

どうも!こんにちは!黄レンジャーです!!

前回の涙と努力の報告会を経て、7月16日の授業が最終講でした!

そんな今日の授業では報告書を書くために、各自のテーマと提言の掘り下げや各自一つずつ執筆するコラムのテーマ決め、口絵に使う写真決めを行いました。

個人的には作業中、授業が始まったばかりの時の写真を見返してどこか懐かしい気持ちになりましたね。


報告会でのコメントを受け、
提言の掘り下げを色々と議論


後半は報告会で行ったアンケートの集計結果をみんなで見ました。

予想外なことに、全体的に超高評価でとても嬉しかったです。とは言え、厳しい結果ももちろんありました、、、。報告書ではそういった部分もリカバーできるように最後まで頑張ります。



授業の最後では4月からを振り返って、それぞれ一言ずつメッセージを伝えました。長いようであっという間だったコミュニティ演習。初めての演習で大変なことも多かったですが、インタビューや膨大な資料の整理、そして大勢の方の前での報告会と普段の授業ではでなかなかできないような経験をすることができました。


関わってくださった全ての方々に感謝の気持ちをお伝えしたいです。
私たちの活動がはじめの一歩となり、今後もコミュニティ演習は続いていきますのでこれからもどうぞよろしくお願いいたします。約4か月間、ありがとうございました。

実習室の前で! (なぜか反転)


文責:黄レンジャーことO

2015年7月10日金曜日

[緊急告知] 期末報告会の様子がJCOM武蔵野三鷹テレビで放送予定です!

昨日の期末報告会には、本当に多数の方にご参加いただき本当にありがとうございました。
この期末報告会では、JCOM武蔵野三鷹の取材を受けており、その様子が、本日7月10日(金)夕方に以下の通り、放送される予定です。

放送日時:7月10日(金)18:40~ (22:00~再放送)
放送チャンネル:J-COM武蔵野三鷹ケーブルテレビ  J-COMチャンネル(11ch)
放送番組:「デイリーニュース」http://www.myjcom.jp/tv/channel/kanto/dn_tokyomusashino.html
 
報告会を詳細に取材いただき、
報告会もしっかり撮影していただきました!


三鷹駅のスクリーンなどでも、一部が放映されるかもしれません。
見ることができる方、ぜひチェックしてください!


文責:渡邉大輔(担当教員)

報告会おつかれさま会

期末報告会お疲れ様でした~

何だかんだぎりぎりでほんとに報告会なんて成立するの!?
という不安ばかりでしたが、何とか無事に終えることがでしました!
ありがとうございました。


前日は深夜までLINEで打ち合わせをしたりと終始ピリピリモードだった私達ですが、
それもこれも打ち上げでおいしいものを食べるため笑!!

頑張った後のご飯は本当においしいんですよね。
ということでお好み焼きともんじゃでワイワイしてきました~


小学校の雰囲気のお好み焼屋さん

一人、完全にサラリーマンですね

月島育ちの赤レンジャーが大活躍したり、
懐かしいアニメソングで合唱したり、楽しいお疲れ様会でした。

まだまだ私たちには報告書を作るという任務が残っておりますが、
一旦それは忘れて(笑)


おつかれさまでした!!


文責:紫レンジャーことT

報告会!!

こんばんは!
赤レンジャーです!

今回はなんと!報告会でした!!!!
全員でこのために頑張ってきました。
 
あいにくの雨だったため、この報告会にきてくださる方はきっと少ないのであろう....と私たちレンジャーは思っていました、が!!!
本日、たくさんの方が報告会の足を運んでくださりました!!

50名近くの方にお越しいただきました!


私たちの想像をはるかに超えて多くの方がきてくださり、うれしい反面、不安と緊張でみんなであわあわしてしまいました(笑)
ですが今回たくさんの方にお話を伺って、そのご報告が無事できたことに今とてもほっとしています。
正直、5人という人数で今年から開講されたこの授業を乗り越えられるのかととても不安でしたし大変なこともありましたが、本当にたくさんの発見があって自分たちも2020年に向けてわくわくしながら学ぶことができました!


提言は5人のレンジャー全員で!

2020年に向けて私たちが提案したことが実現していたら本当の本当にうれしいです♪
また、これがこれからこのコミュニティ演習を受講する人達につながる一歩を踏み出せていたらうれしいです!
みなさんたくさんの貴重なお話ありがとうございました!
そして今日きてくださった方々ありがとうございました!!

おもてなせ☆
 
 
文責: 赤レンジャーA

2015年7月8日水曜日

明日が報告会です

明日も残り1時間と少しですが、報告会の準備がようやく終わりそうです。
これまでもお伝えしていた通り、明日の16時から成蹊大学3号館101教室にて期末報告会を開催します。 
詳細は7月1日の記事をご覧ください。

昨日も講義時間外に学生が集まって最後の資料作成を行い、今日も夕方までLINEとメールで資料の修正指示や依頼が乱舞していました。
時間外に集まって、最後の提言を考えるレンジャーたち

明日はこれまでお世話になったインフォーマントや市役所の方々はもとより、メディアの方もいらっしゃると伺っており、学生も、そして何より教員自身が戦々恐々としています。とはいえ、何があっても明日が本番。4月からわずか3か月強ですが、5人のレンジャーたちのこれまでの成果をぜひご覧ください!

明日の配布資料も印刷完了!

文責:渡邉大輔(担当教員)



2015年7月2日木曜日

いよいよ!!!

 こんばんは!
今日は久しぶりにメディアリテラシー演習室で講義でした!

遂に報告会が来週に迫りました!
各々の発表テーマについて確認し、最終準備に取りかかります。

今までインタビューをさせていただいた方など、報告会をお知らせした方々がいらっしゃるとのご連絡を頂いて、私たちも改めて気合いを入れました。

久しぶりのゆっくりと座っての講義の途中、お菓子を食べたり、談笑したり、いつもの和やかな雰囲気の私たちですが、来週はレンジャーらしくピシッと決めたいと思っています。

報告会は、7月9日(木)に成蹊大学3号館101教室にて16時より始まります。
レンジャー一同、張り切って準備しますので、どうぞお越しください。

ラストスパート頑張ります!!!

報告会の準備で疲れた頭に糖分を!
差し入れのワッフルに夢中のレンジャーたち



文責:ピンクレンジャー I

2015年7月1日水曜日

7月9日にコミュニティ演習期末報告会を行います

成蹊大学文学部現代社会学科コミュニティ演習では、下記の通り、2015年度期末報告会を開催します。
 
本年度の講義テーマである「1964年から見る武蔵野市」をタイトルとして掲げ、高度経済成長期の武蔵野市の様子やオリンピックとのかかわり、さらに現在への変化を、市民から募集した写真や経験などをつうじて描き出します。最終的には、2020年の東京オリンピック・パラリンピックへの提言を行います。
 
このBLOGで発信してきた5人のレンジャーたちが1学期間の成果を発表します。どなたでも参加いただけ、参加費も無料です。ご協力いただいた方、BLOG等をお見守りいただいた方、ぜひ足をお運びいただければ幸いです。

  • 日程:2015年7月9日(木)
  • 時間:16時~17時
  • 場所:成蹊大学3号館101教室  キャンパスマップ
  • 費用:無料。どなたでもご参加いただけます
  • 備考:8月をめどに報告書の作成を予定しています。

なお、ポスターも作成しております。ぜひ周囲のご興味をお持ちの方にお伝えいただければ幸いです。

http://www.seikei.ac.jp/university/bungaku/20150625_community.pdf




文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年6月28日日曜日

70年前後のお祭とうど栽培の写真

以前から打診をしていた井口良美さんと連絡が取れ、急きょ、昨日27日に八幡町へ渡邉がヒヤリングに。この方は、明治3年の御門訴事件の中心人物の一人である井口忠左衛門の子孫のおひとりです。この事件は、玉川上水沿岸、武蔵野の12の新田でおきた農民の直訴事件であり、数名の農民が拷問などで命を落とした痛ましい事件でした。

ヒヤリングでは、9歳で迎える終戦までの話や、その後の学校生活、および農家での生活などを伺いました。オリンピックへの関心はあまり高くなかったことなども伺い、これまでのヒヤリングで積み重ねてきたように、当時のオリンピックへの態度はかなり個人差があったことを改めて確認したところです。
とても広い玄関に机をおいて、
色々な写真を拝見しながらお話を伺いました

井口さんは武蔵野市でながく農家を続けており、とくにうどなどの栽培を行っていたそうです。とうじのうどの箱詰めをしている貴重な写真なども拝見し、また、70年前後のお祭の様子の写真も拝見しました。当時は20~30代くらいの方多く参加していたようですね。

1971年に建設される関前南小学校で行われたお祭。
関前南小はまだない時期なので、71年より前の写真です


現時点で予定しているヒヤリングはこれで最後。材料もほぼ出そろいました。
あとはどう料理するか。報告会までの勝負です!


文責:渡邉大輔(担当教員)



2015年6月27日土曜日

近づいて来ましたね発表!!!!!



今回の授業(6月25日)は2つのヒアリングを行いました!
お一人目は当時の切符を持っていらっしゃるとのことで、市にご連絡いただいた佐藤さんに来ていただきました!

佐藤さんにたくさんのお話をしていただきました!
 
「切符」ということは、電車の切符かねーと考えていたところ、電車はもちろんですが今で言う観戦チケットも切符と当時は言っていたことが判明しました!!!
また、五輪ごろの武蔵野市についてもいろいろお話ししていただき、「あー当時はハトを飼ってる家が結構あったんだなー」など驚きびっくりな新しい発見がたくさんありました。
 
 

そして次のヒアリングは以前お話しいただいた古川さんのお母様である松尾さんに、ご自宅でお話を伺いました。松尾さんはなんと99歳。まもなく100歳になられる方ですが、年をまったく感じさせず、子どものころから現在まで本当に詳しく話していただきました。
とくに五輪のころのお話を伺ったのですが
、同じ“東京五輪”という体験でも当たり前のことなんですが、誰と過ごしたかとかどう盛り上がってたかとか何に感動したとか全部異なって、それぞれエピソードがあるというのがとてもおもしろいな!と思いました。


古川さんお手製のチーズケーキ
とても美味しかったです!


発表まで残り2週間ほど!うかうかしてられませんね!いろんな方にお話を伺うたびになんとも言えぬ重圧が…(笑)
頑張っていきましょ!


文責:紺レンジャー K

2015年6月26日金曜日

商工会と1960年代の吉祥寺

昨日の記録と前後してしまいますが、今日の午前に、コミュニティ演習の担当教員である渡邉と、メディア・リテラシー演習の担当教員である見城先生、そしてむさしのFMのディレクターの方の3人で、商工会議所の目黒さんを訪問しました。本来は学生も一緒にと思っていたのですが、必須の講義が重なってしまい、休んでもらうわけにもいかないので教員のみでの訪問となりました。

目黒さんは現在79歳。卒業後メーカーに就職し、オリンピックのころに家業の呉服屋で働くために吉祥寺に戻られて以来、吉祥寺の第一線でご活躍されています。
1960年代から現在に至るまでの変遷について伺うとともに、オリンピック当時の吉祥寺の様子についてもお話を伺いました。オリンピックのために商工会が何かを行ったということはほとんどなく、開催時期にも五輪が町中にあふれるなどといったことはなかったこと、そして当時は町中のいたるところで開発が行われており、その開発が落ち着くまでには早くとも1974年の伊勢丹開業、あるいは1980年のパルコ開業まではかかったことなどを伺いました。
オリンピックの盛り上がりをという言説自体が、どこまでの射程をもつものなのか、改めて問い直す必要が理解できる貴重なお話でした。

インタビューは武蔵野市商工会館で行いました


さて、コミュニティ演習はいよいよ期末報告会に向けてラストスパートとです。学生はすでに報告準備に入っています。さて、どんな報告になることでしょう。ご期待ください。

文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年6月24日水曜日

東京女子体育大学を訪問

昨日は、東京女子体育大学を訪問し、学長の加茂先生にお話をお伺いしました。東京女子体育大学は1961年まで武蔵野市にあり、現在も武蔵野市にある藤村女子中学校・高等学校を運営する藤村学園の系列校です。

加茂先生は、当時同大学の新体操部に所属していらっしゃられ、東京五輪にも関わられた方です。
東京女子体育大学は、1964年の東京オリンピックの前夜祭(明治神宮の野球場で開催)に全学を挙げて参加し、学生400人以上でダンスを披露しています。加茂先生も3年生という立場であり、また、体操をされていたという立場から下級生などを指導し参加されていらしたそうです。
体育大学の学生という、競技スポーツにもっとも近い立場の方が、当時のオリンピックをどのように感じていたのか、貴重なお話を伺うことができ、興味深い時間となりました。
さらに、同図書館が所収されている藤村学園の情報を閲覧させていただき、短い時間でしたが充実した調査となりました。
東京女子体育大学を正面
JR西国立駅から徒歩8分です


『藤村女子中学・高等学校80周年記念』の一ページ


さて、明日の講義や明後日もヒヤリング三昧。ラストスパートですね。

文責: 渡邉大輔(指導教員)

2015年6月21日日曜日

貴重な写真とテーマ決め

こんにちは!黄レンジャーです!
前回の取材でメンバーがテレビデビューを果たしたり、活動が新聞に載ったりしたおかげで、少しづつ写真が集まってきています!嬉しい!まだまだ募集しております!どうぞよろしくお願いします!

今日は推定江戸時代から一族で武蔵野市にお住まいで、武蔵野市の市議も務められたという榎本さんに貴重なお写真を見せていただきました。近代的な東京オリンピックと代々続く日本家屋が共存していた当時を思うと、なんだか不思議な気持ちですね。

武蔵野市のケヤキは、市の政策ではなく防風林として植えられたというお話を伺って、当時の人の生活の知恵に関心しました。
また、当時の写真と現在の風景を比べてみて如何に武蔵野市が変わったかも体感することができました。
1枚の写真から色々なことが見えてきて、とてもおもしろかったです。


見せていただいた写真の場所を確認する様子
 
 
1962~63年頃に撮影された当時の家
右下は布おむつです。時代の変化を感じます
 
当時の家があった場所の現在
五日市街道の欅はすでにありません

後半はいつもの演習室に戻って、今後のテーマ決めをしました。一人一つのテーマが決まり、いよいよ発表が近づいていることを実感しましたね。のんびりな私たちですが、すこーし焦りを感じながら(笑)発表に向けてこれから最後の大詰めをしていきます!


文責: 黄レンジャー O

2015年6月12日金曜日

発表まであと…


どうも!紫レンジャーです。

いつもはのんびりしているレンジャーたちですが、
昨日の授業は何だかとってもハードな内容でした!頑張った!
しかもテレビの取材まで入ったりと…


授業の前半ではまず、地域での高齢者の生活を支援する武蔵野市独自の施策であるテンミリオンハウスの「くるみの木」と「月見路」にお邪魔しました。
テンミリオンハウス事業についてはこちらを。


テンミリオンハウス「くるみの木」
訪問したときは、健康マージャンを楽しんでいる姿を拝見しました


テンミリオンハウス「月見路」
誰でも利用できるカフェの「梅ジュース」100円がおいしそうでした
 
 
1964年前後のお写真や、その当時のお話をしてくださる方がいらっしゃるといいな、と思いながら宣伝してまいりました。


そして授業の後半にはインタビューも!
今回は武蔵野市で生まれ、現在も市内にお住いの生粋の武蔵野市民!という方にインタビューさせていただきました。


インタビューの様子


その方はなんと1964年の東京オリンピックを実際に観客として観に行かれていたり、その方のお母様が当時の新聞に載っていたりと…とても貴重なお話をきくことができました。


さて発表日まであと一か月もないことが信じられませんが、これからも楽しく頑張っていきたいと思います。


テレビの取材を受ける渡邉先生
来週17日(水)にJ:COM武蔵野三鷹のデイリーニュースで放送されるかも!?


文献:紫レンジャー T










2015年6月10日水曜日

あの開会式の鳩が!?

東京オリンピックの開会式の映像で、大勢の鳩が一斉に飛び立っていくシーンを見たことがありませんか? このシーンです。

東京オリンピックで舞う鳩
https://twitter.com/mihatsuikutoshi/status/411404557172748288/photo/1 より

今日のヒヤリングでは、この鳩を飛ばした方に、偶然にもインタビューをさせていただきました!
なぜこのような事態になったのかは、以下をお読みください。


今日は講義日ではありませんが、むさしのFMなどでボランティアをされている方へのインタビューを行うため、メディアリテラシー演習の見城先生と紺レンジャー、そして渡邉の3名でご自宅を訪問しました。私たちが訪問した時には、日本家屋的なつくりの素敵な家に近隣から手芸を楽しむために数名の方が集まっており、地域のハブであり続けてきた姿を垣間見ました。
インタビューでは、この近辺一体の地主であったことから、武蔵野市の西側の変化をご説明いただきました。また戦前から戦中、戦後への流れのなかで、中島飛行機が武蔵野市にできたことの影響の大きさを感じる貴重な時間となりました。そして、それ以上に、周囲をご一緒に歩くたびに、「ここはうちの畑だった」という言葉が延々と続くという事実に恐れおののいた時間でもありました。

近隣で最近見つかった高射砲の跡地
中島飛行機を防衛するための施設でした。戦後はまだ終わっていませんね


さて、この方にご紹介いただいて一緒に訪問させていただいた方が冒頭の方。東京オリンピックの数年前から鳩を飼い始め、当日は鳩レースの協会の依頼で、鳩と一緒に国立競技場に行き、鳩を飛ばしたそうです。そのうちの一羽がこのお方。

オリンピックの開会式飛び立った鳩のうちの一羽
スタッサール系の鳩とのことです

正真正銘、オリンピックに参加した鳩です。凛々しさが違いますね。
1960年代は、武蔵野市でも鳩を飼っている方がたくさんいたなど、現在からは想像もできない武蔵野市の新たな歴史を知ることができ、驚きの連続のインタビューとなりました。冒頭の写真にもこの鳩が写っているかもしれません。
さて、明日は通常の講義日ですが、内容は盛りだくさん。明日も頑張りましょう。


文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年6月4日木曜日

久々に頭をフル回転!


こんにちは。赤レンジャーです。
本日は主にポスターの作成をしました。
そのポスターとは、、1964年の東京オリンピック前後の武蔵野市の写真やお話をしていただく方を募集するものです。
ポスター作りは簡単そうにみえて、難しい!深い!良い案がでて、いいねー!と盛り上がっているうちに、その案をみんなで忘れる! そして1から考え直し! 休憩を挟みながら試行錯誤して頑張って作りました。みなさんがこのポスターをみて、協力しようと思っていただけることを祈っています。
そして、先生のキーボードを打つ早さにみんなで驚き、私の今年の目標はブラインドタッチができるようになることになりました。頑張ります。

私たちはこれからもインタビュー調査を行っていくのですが、そのきっかけを得る、アポイントメントをとるということにも今回は挑戦しました。

電話をしているレンジャーと周りで健闘を祈るレンジャー達
 
 
また今日は帰り道に武蔵野市の写真を撮るという活動もしました。これからオリンピックにむけてここ変わりそう!!と思った場所等をパシャパシャと写真をとっていきました。写真を撮っている間の会話としては「絶対ここのショーウィンドウ選手の写真になるよね」「絶対ここの表示英語になるよね」などなど、、、想像力をふくらませながら、2020年前後にこの授業を受講した方々にナイスな写真だ!と思っていただけるように、、短い時間で頑張りました(笑)
サンロード入口

中道通り
 
 
武蔵野市はどのような進化をするのでしょうか。楽しみです。
これからも皆様のご協力をお願いいたします。
 
文責:赤レンジャーA
 
 

2015年6月1日月曜日

ネガのスキャン

市民の方からご提供いただいた資料の一つに、スライド用にネガがあります。
 
若い人は見たことがないかもしれない、スライド用のネガ
40枚あるスライドの説明はすべて英語。
旅行者向けだったのかもしれませんね。

1964年当時に富士フィルムが発売したと思われる、映写機用のネガが入ったファイルです。
ただ、おもちいただいたのは大変ありがたいものの、どう扱えばよいか困り果て、大学の支援センター(いわゆる情報センター)に相談。大学に一台だけ残るガトリングマシンのような映写機がみつかったものの壊れておりうまく使えないという悲しい現実を知り、さらに途方に暮れていたところ、フィルムをスキャンできる機械があるとの情報が!
というわけで、本日の講義の合間に画像を確認するためにスキャンしました。

これがフィルムスキャナ! 
スライド用のケースにいれて読み込みます。
完全手動で時代感じる逸品ですが、
きちんとJPEGファイル化してくれる優れものです

ネガのスキャナ自体は非常にアナログなものでしたが、おかげで通常のフィルムからもスキャンできることを確認。今後、フィルムで提供されても怖いものはありません。
お手持ちに資料があるという方、ぜひお借りさせてください!


文責:渡邉大輔(担当教員)




2015年5月25日月曜日

メディアリテラシー演習にて

先週金曜日に、現代社会学科に3つある演習科目の1つである「メディアリテラシー演習」に学生2名と担当教員で訪問しました。

メディアリテラシー演習では、毎年テーマを決めて15分のラジオ番組を2本、制作しています。番組は、武蔵野市のローカルFMである「むさしのFM」(78.2KHz, 武蔵野市および近隣市町村で聴けます)で実際に放送されます。

むさしのFM: http://www.musashino-fm.co.jp/
メディアリテラシー演習のページ: http://www.musashino-fm.co.jp/photo-libraly-782/seikei-media/


今回は、武蔵野市での聖火リレーについてのインタビューの内容について学生に紹介してほしとのことで、コミュニティ演習の2名の学生がボランティアで話をしてくれました。これまで調べたことや、5月6日のインタビューの様子を的確にまとめて紹介し、メディアリテラシー演習でのテーマ選びにも役に立ったようです。

当日の様子。
メディアリテラシー演習は履修人数が多いので会議室のような配置ですね。
なお、雪駄は夏の基本です


1964年の東京オリンピックと、1964年の武蔵野市をテーマに2つの演習科目はそれぞれ調査を進めています。今後も色々と情報共有していきたいですね。今後ともよろしくお願いします。


文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年5月22日金曜日

まだまだこれから…!!

久々の講義です!
 
二週連続で行ったインタビューのログ起こしに追われた一週間を経て、今回は今後の予定をたてたり、インタビュー内容の分析をしたりしました。
今後もまだまだインタビューは行う予定ですし、定点観測をしていくために写真を撮りに行ったりと、まだまだ知らないことも知りたいこともたくさんあります。

『市報』が出たということでどのくらいの写真の応募がありましたかというと…
なんと……………………………!!!!




 
1件!!!!!!!

 
ご協力ありがとうございます!!
0件にならないかと心配していましたが、1件でもあることに安心しています。
まだまだ広報を出したばかりですし、これからのたくさんの応募を期待しつつ、自分たちでもデータの収集に努めていきます。
 
それからインタビュー内容の分析をしました。
必死になって行ったログ起こしから大事なところを抜き出し、みんなで確認し合いました。
さらに、今後どのように調査を行っていくか方針をたてました。
意外と時間がないことに気づき、焦り始めていますが、色々なところへアプローチをし、データを集めていきたいと思います…!


インタビューを文字お越しして読み込みます

文字お越ししたトランススクリプトの重要な部分にはコードを振り、
あとで分析しやすくします

 

講義のあとは受講者+1名で焼き肉を食べに行きました…!!!
たくさん食べて力をつけて、これからに備えます!

すべてはこのために!?
 
 

 文責: ピンクレンジャー I

2015年5月17日日曜日

第6回 だんだんと盛り上がってきましたコミュニティレンジャー

今回は、当時オリンピックの選手村の食堂でボランティアをされていた長谷川さんからお話を伺いました(以下、本人の許可をいただいてお名前と写真を掲載しています)。

前回は市政という点から見た武蔵野市とオリンピックのかかわりをお伺いしました。今回は、予告があったように選手村の食堂でのボランティアという、選手との距離が近い形で関わった方からのオリンピックについて尋ねました。
前回のインタビューは初めてということで、みんなガチガチの感じで行いましたが、2回目ということもあり、緊張はほぐれ、よりよいインタビューができた気がします!!
 
インタビューの様子。
以前より緊張がほぐれた感じです

長谷川さんは、当時、大学で観光関係のサークルに所属していたこともあり、選手村の食堂での給仕のボランティアに参加されたそうです。ちなみに成蹊大学の観光事業研究会からも参加していたようです。
この選手村での貴重な体験をいろいろお聞きしたのですが、当時はアルバイトという名のボランティアのようなもので、賃金はなかったらしいのですが、間近で生の選手を見ることができ、ときには写真をとったりサインをもらったそうです。また、当時チケットはなかなかとれなかったようなので、ボクシングのチケットをもらって会場で観戦したことも、とてもいい思い出だと思います! うらやましいです…
さらに、まかないのご飯を食べることができたらしく帝国ホテルなどの最高級のホテルのシェフの作ったなかなか食べるごとのできない料理を食べられたそうです。ダブルでうらやましいです …!

もらったサインについて話している長谷川さん。
サインは、女子体操で金メダルを取ったチェコのチャスラフスカ選手のものです。
当時はその美貌とあいまって、大人気だったそうです。
学生の給仕係とアメリカの選手の写真。
長谷川さんも写っています。給仕係の服は支給されたそうです

貴重なお話や、就活のアドバイス(?!)などたくさんお話ししました!
長谷川さんからのプレゼントで2020年東京オリンピック確定ピンバッチをもらい発表にむけ、ますます頑張っていこうと励む私たちでした!
今回のメインインタビュアーの赤レンジャーAさん、すごくよかったです! おつかれさまでした!!

武蔵野市ウォーキング協会で会長を務められており、
体育協会でも活躍する長谷川さんから、
2020年大会のピンバッチを頂きました。

 『市報』でもお知らせいただいた1964年ごろの写真がどうか集まりますようにと祈りながら、そろそろ本格的に忙しくなってくるのか…とびくびくしてる私、紺レンジャーでした!


文責:紺レンジャー K

2015年5月15日金曜日

1964年前後の武蔵野市の写真募集について『市報むさしの』に掲載していただきました!

本日、2015年5月15日発行の『市報むさしの』No.2009 に、東京オリンピック、および、その後のパラリンピックが行われた1964年前後の武蔵野様子を撮影した写真を募集している旨の記事を掲載していただきました。 (写真募集については、こちらの記事もご覧ください)。


『市報むさしのし』No.2009 の表紙です。
武蔵野市は市報を全戸配布し、さらに市役所や市政センター、図書館等で配布しています
掲載された記事です。7面の右端半ばやや下に掲載されています。


これは、武蔵野市と成蹊大学が結んでいる包括連携協定の枠組みにおいて、武蔵野市の多大なご協力を得て実現したものです。この取り組みについては、武蔵野市からプレスリリースも出ています。
ぜひご覧ください。

■ プレスリリース 2015年5月15日:武蔵野市・成蹊大学の包括連携協定に基づく新たな取組み 1964年東京オリンピック前後の写真を募集
http://www.city.musashino.lg.jp/koho/pressrelease/021189.html


今年度の写真募集は、自治体や市民の皆さまからの多大な協力を得ての応募となります。ご提供いただいた貴重な資料が次世代につながる地域資源となるよう、履修者一同と教員で頑張っていきます。
お手持ちに当時の写真がございましたら、ぜひともご提供をよろしくお願いします。


文責:渡邉大輔(担当教員)

1964年前後の武蔵野様子を撮影した写真を募集しています!

成蹊大学「コミュニティ演習」では、東京オリンピックおよびその後のパラリンピックが行われた 1964年前後の武蔵野市の様子を撮影した写真 を下記の通り募集しています。ご提供いただいた写真は、複写(デジタル化)したうえでご返却いたします。
お手持ちの写真があるかた、ぜひご提供いただければ幸いです。

成蹊大学「コミュニティ演習」での写真募集 
  • 1964年前後の武蔵野市の様子を撮影した写真を募集しています。
  • ご提供いただいた写真は、複写(デジタル化)したうえですべてご返却いたします
  • ご提供いただく際に、写真に関する簡単な概要(撮影日時、撮影場所、撮影の目的(例:入学式、お祭、趣味で、など))を学生がお伺いいたします。
  • ご提供いただいた写真は、「コミュニティ演習」の報告会、および報告書で使用いたします。また、別途許諾をいただいた場合についてのみ、武蔵野市などで2次利用いたします。詳細は提供時にご説明いたします。
  • ご提供いただける方は、武蔵野市役所企画調整課(0422-60-1801)にお問い合わせいただくか、メールアドレス dwatanabe あっとまーく fh.seikei.ac.jp にご連絡ください。折り返しご連絡いたします。
  • 応募は6月下旬まで受け付けております。


写真は私たちの大切な記録です。しかし、写真は撮影者による管理を離れると、いつ、どこでの写真かわからなくなることが多々発生し、埋もれ、また、散逸してしまいます。
東京オリンピック前後からすでに50年が経ちます。貴重な写真を残していくための機会ともなりますので、ぜひ当時の写真をお持ちの方、ご応募いただければ幸いです。
応募いただいた写真は、報告書の作成などで活用させていただきます。また、デジタル化してご提供時にご教示頂いた情報とともにアーカイブとして保存することで、今後の地域資源として活用できるようにいたします。ぜひご協力をよろしくお願いします!


文責:渡邉大輔(担当講師)

2015年5月11日月曜日

東京オリンピック選手村の食堂ボランティア

武蔵野市体育協会に調査協力のお願いをしていたところ、関係者のお一人で東京オリンピックの際、選手村の食堂でボランティアスタッフをしていたという方からご連絡をいただきました。
本日、担当教員の渡邉がお会いし、今週の講義時に学生がインタビュー調査をおこなうことになっています。急なお話ですがご快諾いただき、本当に感謝しています。

写真は当時スタッフに配布された選手村の『食堂サービス手帖』。その他にも、写真などの貴重な資料をデジタル化するためにお預かりしています。さて、どんな話を学生が聞きだすことができるでしょうか。乞うご期待。

表表紙。
1964のデザインはシンプルでかっこいいですね。
裏表紙。
日本ホテル協会会長(当時)は帝国ホテルの社長。
 


文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年5月7日木曜日

初インタビュー、いざ参らん!

本日は遂に実際にインタビューを行いました!!
1964年東京オリンピックの時に武蔵野市の教育委員会にお勤めだった木村さんに当時の様子をお伺いしました(以下、本人の許可をいただいてお名前と写真を掲載しています)。

インタビュー前にどんな質問をするのか表にまとめたり、司会を決めたり会場をセッティングしたり…たくさんの準備をしても、インタビューは緊張のひと時でした。いつものアットホームな雰囲気とは少し違う、新鮮な回でした。
これからもっともっとみんなでインタビュー上手になっていけたら…!と思います。

さて、気になるインタビューの内容です。1964年の東京オリンピック当時すでに30代だった木村さんは、まったく年齢を感じさせず、地図や写真を指し示しながら熱心に当時の武蔵野市について語ってくださいました。

インタビューの様子

聖火が武蔵野市を通ると決まった時、特別に委員会が立ち上げられたそうで、聖火ランナーや伴走者のユニフォームに東京五輪のエンブレムを縫い付けたという木村さん。特に印象深かったのは東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボール、マラソンで金メダルを獲ったアベベ選手、柔道で絶対的な存在だったにも関わらず倒されてしまった神永選手だそうです。
当時を熱く語る木村さん。
40年以上市役所に勤務され、助役も務めるなど当時の武蔵野市政の中心的役割を果たされてきました

当時の武蔵野市『市報』(1964年10月15日号)1面に掲載された写真。
このユニフォームのエンブレムは、市役所の職員が縫ったものでした

その他にもオリンピック後に、武蔵野市では当時の後藤市長が「ALL市民 ALLスポーツ ALL体育館」を掲げて小中学校への体育館の建設などスポーツができる場所を増やしていったお話や、前回話題になった武蔵野市の銭湯のお話も伺いました。銭湯は当時武蔵野市にあった中島飛行場で働いていた人で賑わっていたのだとか…!
2時間を超えるロングインタビューが終わってほっとした私たちは、吉祥寺で有名な小ざさの最中をいただきながら反省会。メインインタビュアーを務めた紺レンジャーKさん本当にお疲れ様!
次回は本日のインタビューを整理しつつ、発表会に向けてのテーマを固めて行きます。
おたのしみに!


文責:黄レンジャーO

2015年4月30日木曜日

4月最後のコミュニティ演習

こんばんは!
この画面にたどり着くまでに大変時間がかかりました機械音痴代表 赤レンジャーAです。

今日は昔と今の武蔵野市の地図を見比べたり、次回のインタビューに向けて質問事項を考えたりしました! そして今日も相変わらず授業と休憩時間の境目を感じないくらいアットホームな空間の中授業をしました!

地図とにらめっこ中の先生と私たちです。大学生っぽいですね!
                                  
 
昔と今を見比べて私たちが驚いたのは銭湯の数です!! 武蔵野市に大変多くの銭湯が高度経済成長期後にあったことを初めて知り、「銭湯を探せ!!」と盛り上がりました。しかし現在私たちが知っている銭湯は1~2か所だけで、今現在まで残っている場所は少ないということを知りました。
町の大きな変化だけではなくて、このような小さな変化に注目してみると新たな発見があって面白いです! とにかく私たちは、今残っている銭湯に足を運んで片手を腰にあててコーヒー牛乳を飲むことから始めようと思います。

高度経済成長期後の1981年の武蔵野市の地図です。今はなき銭湯がまだ残っています


授業の後半は来週のインタビューに向けての準備をしました。オリンピックのことはもちろんですが、オリンピック以外にもたくさん知りたいことがありました。アイデアを出し合って多くの質問事項があがったので、来週武蔵野市の多くのことを吸収できるように各自準備をしていきたいと思います。来週はドキドキですが皆の力を合わせて頑張ります!


じゃんけんで大いに盛り上がれる大学生たち。

今日は統計の本で久々に数字をたくさんみて頭がくらくらしましたが、これからは数字と友達になってより多くのデータを読みとれるように努力します。

最後に、、、

先生からお土産をいただきました! 名古屋名物ういろうです

名古屋にはおいしい物がたくさんあるとのことなので、今度皆で行こうと思います!! 勝手に私が今決めてしまいましたが...笑!

長くなってしまいましたが、とにかく来週は今まで学んだことを活かしてたくさんのことを吸収できるように、万全な状態で望みたいと思います。
来週もみんなで頑張ります!

文責:赤レンジャーA