2015年6月28日日曜日

70年前後のお祭とうど栽培の写真

以前から打診をしていた井口良美さんと連絡が取れ、急きょ、昨日27日に八幡町へ渡邉がヒヤリングに。この方は、明治3年の御門訴事件の中心人物の一人である井口忠左衛門の子孫のおひとりです。この事件は、玉川上水沿岸、武蔵野の12の新田でおきた農民の直訴事件であり、数名の農民が拷問などで命を落とした痛ましい事件でした。

ヒヤリングでは、9歳で迎える終戦までの話や、その後の学校生活、および農家での生活などを伺いました。オリンピックへの関心はあまり高くなかったことなども伺い、これまでのヒヤリングで積み重ねてきたように、当時のオリンピックへの態度はかなり個人差があったことを改めて確認したところです。
とても広い玄関に机をおいて、
色々な写真を拝見しながらお話を伺いました

井口さんは武蔵野市でながく農家を続けており、とくにうどなどの栽培を行っていたそうです。とうじのうどの箱詰めをしている貴重な写真なども拝見し、また、70年前後のお祭の様子の写真も拝見しました。当時は20~30代くらいの方多く参加していたようですね。

1971年に建設される関前南小学校で行われたお祭。
関前南小はまだない時期なので、71年より前の写真です


現時点で予定しているヒヤリングはこれで最後。材料もほぼ出そろいました。
あとはどう料理するか。報告会までの勝負です!


文責:渡邉大輔(担当教員)



2015年6月27日土曜日

近づいて来ましたね発表!!!!!



今回の授業(6月25日)は2つのヒアリングを行いました!
お一人目は当時の切符を持っていらっしゃるとのことで、市にご連絡いただいた佐藤さんに来ていただきました!

佐藤さんにたくさんのお話をしていただきました!
 
「切符」ということは、電車の切符かねーと考えていたところ、電車はもちろんですが今で言う観戦チケットも切符と当時は言っていたことが判明しました!!!
また、五輪ごろの武蔵野市についてもいろいろお話ししていただき、「あー当時はハトを飼ってる家が結構あったんだなー」など驚きびっくりな新しい発見がたくさんありました。
 
 

そして次のヒアリングは以前お話しいただいた古川さんのお母様である松尾さんに、ご自宅でお話を伺いました。松尾さんはなんと99歳。まもなく100歳になられる方ですが、年をまったく感じさせず、子どものころから現在まで本当に詳しく話していただきました。
とくに五輪のころのお話を伺ったのですが
、同じ“東京五輪”という体験でも当たり前のことなんですが、誰と過ごしたかとかどう盛り上がってたかとか何に感動したとか全部異なって、それぞれエピソードがあるというのがとてもおもしろいな!と思いました。


古川さんお手製のチーズケーキ
とても美味しかったです!


発表まで残り2週間ほど!うかうかしてられませんね!いろんな方にお話を伺うたびになんとも言えぬ重圧が…(笑)
頑張っていきましょ!


文責:紺レンジャー K

2015年6月26日金曜日

商工会と1960年代の吉祥寺

昨日の記録と前後してしまいますが、今日の午前に、コミュニティ演習の担当教員である渡邉と、メディア・リテラシー演習の担当教員である見城先生、そしてむさしのFMのディレクターの方の3人で、商工会議所の目黒さんを訪問しました。本来は学生も一緒にと思っていたのですが、必須の講義が重なってしまい、休んでもらうわけにもいかないので教員のみでの訪問となりました。

目黒さんは現在79歳。卒業後メーカーに就職し、オリンピックのころに家業の呉服屋で働くために吉祥寺に戻られて以来、吉祥寺の第一線でご活躍されています。
1960年代から現在に至るまでの変遷について伺うとともに、オリンピック当時の吉祥寺の様子についてもお話を伺いました。オリンピックのために商工会が何かを行ったということはほとんどなく、開催時期にも五輪が町中にあふれるなどといったことはなかったこと、そして当時は町中のいたるところで開発が行われており、その開発が落ち着くまでには早くとも1974年の伊勢丹開業、あるいは1980年のパルコ開業まではかかったことなどを伺いました。
オリンピックの盛り上がりをという言説自体が、どこまでの射程をもつものなのか、改めて問い直す必要が理解できる貴重なお話でした。

インタビューは武蔵野市商工会館で行いました


さて、コミュニティ演習はいよいよ期末報告会に向けてラストスパートとです。学生はすでに報告準備に入っています。さて、どんな報告になることでしょう。ご期待ください。

文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年6月24日水曜日

東京女子体育大学を訪問

昨日は、東京女子体育大学を訪問し、学長の加茂先生にお話をお伺いしました。東京女子体育大学は1961年まで武蔵野市にあり、現在も武蔵野市にある藤村女子中学校・高等学校を運営する藤村学園の系列校です。

加茂先生は、当時同大学の新体操部に所属していらっしゃられ、東京五輪にも関わられた方です。
東京女子体育大学は、1964年の東京オリンピックの前夜祭(明治神宮の野球場で開催)に全学を挙げて参加し、学生400人以上でダンスを披露しています。加茂先生も3年生という立場であり、また、体操をされていたという立場から下級生などを指導し参加されていらしたそうです。
体育大学の学生という、競技スポーツにもっとも近い立場の方が、当時のオリンピックをどのように感じていたのか、貴重なお話を伺うことができ、興味深い時間となりました。
さらに、同図書館が所収されている藤村学園の情報を閲覧させていただき、短い時間でしたが充実した調査となりました。
東京女子体育大学を正面
JR西国立駅から徒歩8分です


『藤村女子中学・高等学校80周年記念』の一ページ


さて、明日の講義や明後日もヒヤリング三昧。ラストスパートですね。

文責: 渡邉大輔(指導教員)

2015年6月21日日曜日

貴重な写真とテーマ決め

こんにちは!黄レンジャーです!
前回の取材でメンバーがテレビデビューを果たしたり、活動が新聞に載ったりしたおかげで、少しづつ写真が集まってきています!嬉しい!まだまだ募集しております!どうぞよろしくお願いします!

今日は推定江戸時代から一族で武蔵野市にお住まいで、武蔵野市の市議も務められたという榎本さんに貴重なお写真を見せていただきました。近代的な東京オリンピックと代々続く日本家屋が共存していた当時を思うと、なんだか不思議な気持ちですね。

武蔵野市のケヤキは、市の政策ではなく防風林として植えられたというお話を伺って、当時の人の生活の知恵に関心しました。
また、当時の写真と現在の風景を比べてみて如何に武蔵野市が変わったかも体感することができました。
1枚の写真から色々なことが見えてきて、とてもおもしろかったです。


見せていただいた写真の場所を確認する様子
 
 
1962~63年頃に撮影された当時の家
右下は布おむつです。時代の変化を感じます
 
当時の家があった場所の現在
五日市街道の欅はすでにありません

後半はいつもの演習室に戻って、今後のテーマ決めをしました。一人一つのテーマが決まり、いよいよ発表が近づいていることを実感しましたね。のんびりな私たちですが、すこーし焦りを感じながら(笑)発表に向けてこれから最後の大詰めをしていきます!


文責: 黄レンジャー O

2015年6月12日金曜日

発表まであと…


どうも!紫レンジャーです。

いつもはのんびりしているレンジャーたちですが、
昨日の授業は何だかとってもハードな内容でした!頑張った!
しかもテレビの取材まで入ったりと…


授業の前半ではまず、地域での高齢者の生活を支援する武蔵野市独自の施策であるテンミリオンハウスの「くるみの木」と「月見路」にお邪魔しました。
テンミリオンハウス事業についてはこちらを。


テンミリオンハウス「くるみの木」
訪問したときは、健康マージャンを楽しんでいる姿を拝見しました


テンミリオンハウス「月見路」
誰でも利用できるカフェの「梅ジュース」100円がおいしそうでした
 
 
1964年前後のお写真や、その当時のお話をしてくださる方がいらっしゃるといいな、と思いながら宣伝してまいりました。


そして授業の後半にはインタビューも!
今回は武蔵野市で生まれ、現在も市内にお住いの生粋の武蔵野市民!という方にインタビューさせていただきました。


インタビューの様子


その方はなんと1964年の東京オリンピックを実際に観客として観に行かれていたり、その方のお母様が当時の新聞に載っていたりと…とても貴重なお話をきくことができました。


さて発表日まであと一か月もないことが信じられませんが、これからも楽しく頑張っていきたいと思います。


テレビの取材を受ける渡邉先生
来週17日(水)にJ:COM武蔵野三鷹のデイリーニュースで放送されるかも!?


文献:紫レンジャー T










2015年6月10日水曜日

あの開会式の鳩が!?

東京オリンピックの開会式の映像で、大勢の鳩が一斉に飛び立っていくシーンを見たことがありませんか? このシーンです。

東京オリンピックで舞う鳩
https://twitter.com/mihatsuikutoshi/status/411404557172748288/photo/1 より

今日のヒヤリングでは、この鳩を飛ばした方に、偶然にもインタビューをさせていただきました!
なぜこのような事態になったのかは、以下をお読みください。


今日は講義日ではありませんが、むさしのFMなどでボランティアをされている方へのインタビューを行うため、メディアリテラシー演習の見城先生と紺レンジャー、そして渡邉の3名でご自宅を訪問しました。私たちが訪問した時には、日本家屋的なつくりの素敵な家に近隣から手芸を楽しむために数名の方が集まっており、地域のハブであり続けてきた姿を垣間見ました。
インタビューでは、この近辺一体の地主であったことから、武蔵野市の西側の変化をご説明いただきました。また戦前から戦中、戦後への流れのなかで、中島飛行機が武蔵野市にできたことの影響の大きさを感じる貴重な時間となりました。そして、それ以上に、周囲をご一緒に歩くたびに、「ここはうちの畑だった」という言葉が延々と続くという事実に恐れおののいた時間でもありました。

近隣で最近見つかった高射砲の跡地
中島飛行機を防衛するための施設でした。戦後はまだ終わっていませんね


さて、この方にご紹介いただいて一緒に訪問させていただいた方が冒頭の方。東京オリンピックの数年前から鳩を飼い始め、当日は鳩レースの協会の依頼で、鳩と一緒に国立競技場に行き、鳩を飛ばしたそうです。そのうちの一羽がこのお方。

オリンピックの開会式飛び立った鳩のうちの一羽
スタッサール系の鳩とのことです

正真正銘、オリンピックに参加した鳩です。凛々しさが違いますね。
1960年代は、武蔵野市でも鳩を飼っている方がたくさんいたなど、現在からは想像もできない武蔵野市の新たな歴史を知ることができ、驚きの連続のインタビューとなりました。冒頭の写真にもこの鳩が写っているかもしれません。
さて、明日は通常の講義日ですが、内容は盛りだくさん。明日も頑張りましょう。


文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年6月4日木曜日

久々に頭をフル回転!


こんにちは。赤レンジャーです。
本日は主にポスターの作成をしました。
そのポスターとは、、1964年の東京オリンピック前後の武蔵野市の写真やお話をしていただく方を募集するものです。
ポスター作りは簡単そうにみえて、難しい!深い!良い案がでて、いいねー!と盛り上がっているうちに、その案をみんなで忘れる! そして1から考え直し! 休憩を挟みながら試行錯誤して頑張って作りました。みなさんがこのポスターをみて、協力しようと思っていただけることを祈っています。
そして、先生のキーボードを打つ早さにみんなで驚き、私の今年の目標はブラインドタッチができるようになることになりました。頑張ります。

私たちはこれからもインタビュー調査を行っていくのですが、そのきっかけを得る、アポイントメントをとるということにも今回は挑戦しました。

電話をしているレンジャーと周りで健闘を祈るレンジャー達
 
 
また今日は帰り道に武蔵野市の写真を撮るという活動もしました。これからオリンピックにむけてここ変わりそう!!と思った場所等をパシャパシャと写真をとっていきました。写真を撮っている間の会話としては「絶対ここのショーウィンドウ選手の写真になるよね」「絶対ここの表示英語になるよね」などなど、、、想像力をふくらませながら、2020年前後にこの授業を受講した方々にナイスな写真だ!と思っていただけるように、、短い時間で頑張りました(笑)
サンロード入口

中道通り
 
 
武蔵野市はどのような進化をするのでしょうか。楽しみです。
これからも皆様のご協力をお願いいたします。
 
文責:赤レンジャーA
 
 

2015年6月1日月曜日

ネガのスキャン

市民の方からご提供いただいた資料の一つに、スライド用にネガがあります。
 
若い人は見たことがないかもしれない、スライド用のネガ
40枚あるスライドの説明はすべて英語。
旅行者向けだったのかもしれませんね。

1964年当時に富士フィルムが発売したと思われる、映写機用のネガが入ったファイルです。
ただ、おもちいただいたのは大変ありがたいものの、どう扱えばよいか困り果て、大学の支援センター(いわゆる情報センター)に相談。大学に一台だけ残るガトリングマシンのような映写機がみつかったものの壊れておりうまく使えないという悲しい現実を知り、さらに途方に暮れていたところ、フィルムをスキャンできる機械があるとの情報が!
というわけで、本日の講義の合間に画像を確認するためにスキャンしました。

これがフィルムスキャナ! 
スライド用のケースにいれて読み込みます。
完全手動で時代感じる逸品ですが、
きちんとJPEGファイル化してくれる優れものです

ネガのスキャナ自体は非常にアナログなものでしたが、おかげで通常のフィルムからもスキャンできることを確認。今後、フィルムで提供されても怖いものはありません。
お手持ちに資料があるという方、ぜひお借りさせてください!


文責:渡邉大輔(担当教員)