2026年6月8日月曜日

コミュニティ演習2026第8回!

 みなさんこんにちは!先日の梅雨入りによってジメジメした日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、6月8日にコミュニティ演習第8回の授業が行われました。

前回に引き続き今回も吉祥寺をよく知る方々へのインタビューを行いました!今回は玩具屋と喫茶店の近江屋の経営をなさっていた塚本真史さんと、和菓子屋さん(とらやかねこ)の経営をなさっていた金子和雄さんに、平和通りとサンロードの移り変わりのお話を伺いました。

まずは塚本さんに平和通りのお話を伺いました。

平和通りはもともと公園通りに向けて湾曲していたこと、都市計画で拡張され今は真っ直ぐ続いていることを学びました。以前は昔から続く店が道の両側に並んでいましたが、道路拡張工事後はビル等に変わってしまい、当時からあるお店で現在残っているのは3軒だそうです。

最も印象的だったのは、蓮乗寺、月窓寺、光専寺の3つのお寺が吉祥寺駅付近の土地の所有者だという点です。五日市街道から井の頭公園に向かって南北方向にまっすぐに土地を分割していることを地図と照らし合わせながら学びました。

続いて金子さんにサンロードのお話を伺いました。

実はサンロードのアーケードを外すと、昔の店舗がそのままの姿で見られるのだそうです!確かに、吉祥寺今昔写真集に掲載された昔の写真と比べてみると、今の店舗も同じ形であり、名残があるように感じました。このお話を聞いてアーケードを外したサンロードを見てみたくなりました☺︎

またかつて東京女子体育大学とそのグラウンドがあったあたりは、金子さんと塚本さんが子ども時代に遊んでいた場所だったそうです。地域ごとに子どものグループがあり、遊ぶ場所を分けていたそうですが、東京女子体育大学のグラウンドはグループに関係なく遊ぶ場所だったそうです。

ここのグループが現在では消防団として横の繋がりをもっています。このつながりによってまちの結束を強めています。

年代ごとの吉祥寺の地図を見ながら歴史を辿ります!

今回のお話の中には前回のインタビューで伺ったお話に関連する話題も出てきました。

線路が近く、柵もなかったため自由に出入りでき、遊んでいたこと。ハーモニカ横丁は現在のスーパーのようなものであったこと。生鮮食品の販売が特に盛んで子供の頃におつかいに行っていたことなどです。特にハーモニカ横丁の中にある卵屋さんの山本鶏卵店はみなさんにとって思い出深いお店でした。卵を注文すると店主の方が手際良く紙に包んでくれるそうです。このことを説明してくださる時はどの方も全く同じ手つきで包み方を教えてくださり、思い出や見ていた景色が同じであったことを強く感じました。

このように吉祥寺の中でも住んでいる場所や年齢が異なっていても思い出が共通していることに感動しました。これは大規模店舗を駅から離れた場所におき、昔ながらのお店をまちの中心におくというまち全体を潤すことを目指す吉祥寺式の都市設計が関係しているのだろうと考えました。

平和通り商店街
サンロードのアーケード
実は、吉祥寺は以前放置自転車の問題を抱えていたことがあります。この問題を解決するために行政は買い物の時間を考慮して2時間無料の駐輪場を設置しました。それにより店舗の前に置かれた自転車は無くなり、放置自転車の問題は解決したそうです。他にも集積所を設置し、荷さばきの問題を解決したという吉祥寺方式の共同集配送事業は全国でも注目される取り組みとなりました。

このように、何か問題が起こると
行政・住民がそれを解決しようと積極的に動くことが吉祥寺のまちを素敵で住みやすいまちにした所以であるとわかりました。

お2人のお話をうかがうことで、私たちが毎日見ている風景の様々な場所にお2人の思い出が詰まっていることを実感し、まちがより愛おしく感じるようになりました。

塚本さん、金子さん、お忙しい中貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございました!

次回も引き続きインタビューを行います!

最後までお読みいただきありがとうございました🙇‍♀️

文責:のんびりラッコ

2026年6月1日月曜日

コミュニティ演習2026第7回!

 6月に入りコミュニティ演習の授業も折り返し地点になりました( ; ; )履修生全員仲良しなので、今から別れが惜しまれます。

今回から吉祥寺をよく知る方々へのインタビューが始まりました!今日は「吉祥寺今昔写真館委員会」の3人の方に、五日市街道や中央線の話からハーモニカ横丁、ダイヤ街周辺のことまで、幅広くお話をうかがうができました。

まずはじめに、須田富昭さんにお話をうかがいました。須田さんは吉祥寺についてとても詳しく、五日市街道や吉祥寺の長い歴史について教えてくださいました。五日市街道はもともと杉丸太を運搬するために使われていたそうで、須田さんの家業の運送業の大正時代の写真や、運搬にかかわる方々が使用していた「はっぴ」を紹介してくださったことがとても印象に残っています。

大正時代の写真

運送会社の人たちがきていたはっぴ

ほかにも、中央線の高架化前の、吉祥寺駅近くに踏切があった時代の話もうかがいました。当時の踏切を写真で見た際、私は今の中央線を思い浮かべながら、頻繁に電車が来て開かなかったのだろうと考えていました。しかし、須田さんによると、昔は中央線も本数が少なかったため、そこまで開かずの踏切ではなかったとのことです。それよりも、かつては吉祥寺駅で貨車の入れ替えがおこなわれており、作業がすべて手動のため、それが始まると30分ほど踏切があかなかったそうです。今では想像ができないことなのでとても驚きました。また、地上鉄道時代の事故の話もうかがいました。当時は線路沿いに柵などがなく、自由に人が入れる状態だったため、線路内での事故も多かったようです。

次に、小松由美さんにハーモニカ横丁についてのお話をうかがいました。現在ハーモニカ横丁には様々な居酒屋や服屋、魚屋などがあり、昔ながらのにぎやかさが感じられます。ハーモニカ横丁という名前は、狭い間口の商店が並ぶ様子がハーモニカの吹き口に似ていることから名づけられたそうです。

戦時中に更地になった吉祥寺駅周辺に戦後、闇市ができたのがハーモニカ横丁のはじまりです。昔は青果店などの商店が立ち並び、ショッピングエリアとして発展していたそうです。当時は朝に商品を卸し、一日で売り切るのが基本だったようで、夕方になるとお客さんたちがたくさんの野菜を持って帰ったそうです。「おまけ」も付けて商品を売りさばく粋な店員さんもいたそうで、当時のハーモニカ横丁の今とは違う賑わいが想像できました。戦後の闇市からはじまった商店等の変遷の歴史をうかがっていると、昔の色を残し、懐かしさを感じさせるハーモニカ横丁の魅力があらためて感じられました。

最後に、荒井弘美さんにダイヤ街についてのお話をうかがいました。現在パルコが建てられている土地に生まれ、ダイヤ街で育った荒井さんは、パルコの場所にかつてあった映画館の話や、子どものころハーモニカ横丁におつかいに行ったことなどを話してくださいました。かつて、個人経営のお店は一階がお店、二階が家族の住居、三階は従業員の住む場所といった作りが多く、従業員の方の食事も作るためにハーモニカ横丁で大量に食品を買う方が多かったそうです。こういった具体的な話をうかがっていると、吉祥寺の昔の姿が目の前に浮かんでくるようでした。

吉祥寺にはパルコやアトレ、コピス、ヨドバシカメラなど、大型商業施設が数多くあります。しかし、これらの大型商業施設はサンロードやダイヤ街、ハーモニカ横丁などを取り囲む形で建てられています。もしも街の中心に大型商業施設があったら来街者は皆そこに集まってしまいますが、吉祥寺では街の周辺に大型商業施設があることで小規模なお店と大型店がうまく共存できているそうです。私自身、吉祥寺駅近辺を歩くときは毎回サンロードやダイヤ街を散策します。吉祥寺で大型商業施設が幅を利かせているというイメージがなかったのにはそんな理由があるのだと納得しました。

今回話をうかがった方々は皆さん、昔の体験や街の歴史をよく覚えていて、私たちはとても驚きました。また皆さんのお話によって吉祥寺の歴史をたどることができたとともに、街が地域の特色を残しつつ変化していくためにはどうしたらよいのかといった問題意識ももつことができました。

私たちは日頃、デパートやショッピングセンターに行って手早く買い物を済ませようとしてしまいますが、吉祥寺を訪れると街の散策を楽しみながら買い物をしたいという気持ちになります。それは吉祥寺が伝統や歴史を残しつつ、新しいものも取り入れ、両立させてきたからなのではないのかと考えました。

皆さんの話をうかがった後に吉祥寺の街を歩いてみると、それまで気づかなかったいろいろなところに目が向くようになりました。ダイヤ街がチェリーナードとローズナードという2つの通りからできているという話を荒井さんからうかがったあとにダイヤ街を歩いていると、「ダイヤ街チェリーナード」という表示が自然と目に入ってきました。

目に入ったダイヤ街チェリーナードの表示

歴史を知るということは街に愛着をもつ機会であるということも知り、とても貴重なインタビューとなりました。今回は話に聞き入ってしまい、あまり写真を撮ることができませんでした(´;ω;`)

須田さん、荒井さん、小松さん、おいそがしい中お話を聞かせてくださり、ありがとうございました!

最後まで読んでくださりありがとうございました♪次回も引き続きインタビューをしていきます💪🏻

文責:赤ちゃんコアラ