2015年5月25日月曜日

メディアリテラシー演習にて

先週金曜日に、現代社会学科に3つある演習科目の1つである「メディアリテラシー演習」に学生2名と担当教員で訪問しました。

メディアリテラシー演習では、毎年テーマを決めて15分のラジオ番組を2本、制作しています。番組は、武蔵野市のローカルFMである「むさしのFM」(78.2KHz, 武蔵野市および近隣市町村で聴けます)で実際に放送されます。

むさしのFM: http://www.musashino-fm.co.jp/
メディアリテラシー演習のページ: http://www.musashino-fm.co.jp/photo-libraly-782/seikei-media/


今回は、武蔵野市での聖火リレーについてのインタビューの内容について学生に紹介してほしとのことで、コミュニティ演習の2名の学生がボランティアで話をしてくれました。これまで調べたことや、5月6日のインタビューの様子を的確にまとめて紹介し、メディアリテラシー演習でのテーマ選びにも役に立ったようです。

当日の様子。
メディアリテラシー演習は履修人数が多いので会議室のような配置ですね。
なお、雪駄は夏の基本です


1964年の東京オリンピックと、1964年の武蔵野市をテーマに2つの演習科目はそれぞれ調査を進めています。今後も色々と情報共有していきたいですね。今後ともよろしくお願いします。


文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年5月22日金曜日

まだまだこれから…!!

久々の講義です!
 
二週連続で行ったインタビューのログ起こしに追われた一週間を経て、今回は今後の予定をたてたり、インタビュー内容の分析をしたりしました。
今後もまだまだインタビューは行う予定ですし、定点観測をしていくために写真を撮りに行ったりと、まだまだ知らないことも知りたいこともたくさんあります。

『市報』が出たということでどのくらいの写真の応募がありましたかというと…
なんと……………………………!!!!




 
1件!!!!!!!

 
ご協力ありがとうございます!!
0件にならないかと心配していましたが、1件でもあることに安心しています。
まだまだ広報を出したばかりですし、これからのたくさんの応募を期待しつつ、自分たちでもデータの収集に努めていきます。
 
それからインタビュー内容の分析をしました。
必死になって行ったログ起こしから大事なところを抜き出し、みんなで確認し合いました。
さらに、今後どのように調査を行っていくか方針をたてました。
意外と時間がないことに気づき、焦り始めていますが、色々なところへアプローチをし、データを集めていきたいと思います…!


インタビューを文字お越しして読み込みます

文字お越ししたトランススクリプトの重要な部分にはコードを振り、
あとで分析しやすくします

 

講義のあとは受講者+1名で焼き肉を食べに行きました…!!!
たくさん食べて力をつけて、これからに備えます!

すべてはこのために!?
 
 

 文責: ピンクレンジャー I

2015年5月17日日曜日

第6回 だんだんと盛り上がってきましたコミュニティレンジャー

今回は、当時オリンピックの選手村の食堂でボランティアをされていた長谷川さんからお話を伺いました(以下、本人の許可をいただいてお名前と写真を掲載しています)。

前回は市政という点から見た武蔵野市とオリンピックのかかわりをお伺いしました。今回は、予告があったように選手村の食堂でのボランティアという、選手との距離が近い形で関わった方からのオリンピックについて尋ねました。
前回のインタビューは初めてということで、みんなガチガチの感じで行いましたが、2回目ということもあり、緊張はほぐれ、よりよいインタビューができた気がします!!
 
インタビューの様子。
以前より緊張がほぐれた感じです

長谷川さんは、当時、大学で観光関係のサークルに所属していたこともあり、選手村の食堂での給仕のボランティアに参加されたそうです。ちなみに成蹊大学の観光事業研究会からも参加していたようです。
この選手村での貴重な体験をいろいろお聞きしたのですが、当時はアルバイトという名のボランティアのようなもので、賃金はなかったらしいのですが、間近で生の選手を見ることができ、ときには写真をとったりサインをもらったそうです。また、当時チケットはなかなかとれなかったようなので、ボクシングのチケットをもらって会場で観戦したことも、とてもいい思い出だと思います! うらやましいです…
さらに、まかないのご飯を食べることができたらしく帝国ホテルなどの最高級のホテルのシェフの作ったなかなか食べるごとのできない料理を食べられたそうです。ダブルでうらやましいです …!

もらったサインについて話している長谷川さん。
サインは、女子体操で金メダルを取ったチェコのチャスラフスカ選手のものです。
当時はその美貌とあいまって、大人気だったそうです。
学生の給仕係とアメリカの選手の写真。
長谷川さんも写っています。給仕係の服は支給されたそうです

貴重なお話や、就活のアドバイス(?!)などたくさんお話ししました!
長谷川さんからのプレゼントで2020年東京オリンピック確定ピンバッチをもらい発表にむけ、ますます頑張っていこうと励む私たちでした!
今回のメインインタビュアーの赤レンジャーAさん、すごくよかったです! おつかれさまでした!!

武蔵野市ウォーキング協会で会長を務められており、
体育協会でも活躍する長谷川さんから、
2020年大会のピンバッチを頂きました。

 『市報』でもお知らせいただいた1964年ごろの写真がどうか集まりますようにと祈りながら、そろそろ本格的に忙しくなってくるのか…とびくびくしてる私、紺レンジャーでした!


文責:紺レンジャー K

2015年5月15日金曜日

1964年前後の武蔵野市の写真募集について『市報むさしの』に掲載していただきました!

本日、2015年5月15日発行の『市報むさしの』No.2009 に、東京オリンピック、および、その後のパラリンピックが行われた1964年前後の武蔵野様子を撮影した写真を募集している旨の記事を掲載していただきました。 (写真募集については、こちらの記事もご覧ください)。


『市報むさしのし』No.2009 の表紙です。
武蔵野市は市報を全戸配布し、さらに市役所や市政センター、図書館等で配布しています
掲載された記事です。7面の右端半ばやや下に掲載されています。


これは、武蔵野市と成蹊大学が結んでいる包括連携協定の枠組みにおいて、武蔵野市の多大なご協力を得て実現したものです。この取り組みについては、武蔵野市からプレスリリースも出ています。
ぜひご覧ください。

■ プレスリリース 2015年5月15日:武蔵野市・成蹊大学の包括連携協定に基づく新たな取組み 1964年東京オリンピック前後の写真を募集
http://www.city.musashino.lg.jp/koho/pressrelease/021189.html


今年度の写真募集は、自治体や市民の皆さまからの多大な協力を得ての応募となります。ご提供いただいた貴重な資料が次世代につながる地域資源となるよう、履修者一同と教員で頑張っていきます。
お手持ちに当時の写真がございましたら、ぜひともご提供をよろしくお願いします。


文責:渡邉大輔(担当教員)

1964年前後の武蔵野様子を撮影した写真を募集しています!

成蹊大学「コミュニティ演習」では、東京オリンピックおよびその後のパラリンピックが行われた 1964年前後の武蔵野市の様子を撮影した写真 を下記の通り募集しています。ご提供いただいた写真は、複写(デジタル化)したうえでご返却いたします。
お手持ちの写真があるかた、ぜひご提供いただければ幸いです。

成蹊大学「コミュニティ演習」での写真募集 
  • 1964年前後の武蔵野市の様子を撮影した写真を募集しています。
  • ご提供いただいた写真は、複写(デジタル化)したうえですべてご返却いたします
  • ご提供いただく際に、写真に関する簡単な概要(撮影日時、撮影場所、撮影の目的(例:入学式、お祭、趣味で、など))を学生がお伺いいたします。
  • ご提供いただいた写真は、「コミュニティ演習」の報告会、および報告書で使用いたします。また、別途許諾をいただいた場合についてのみ、武蔵野市などで2次利用いたします。詳細は提供時にご説明いたします。
  • ご提供いただける方は、武蔵野市役所企画調整課(0422-60-1801)にお問い合わせいただくか、メールアドレス dwatanabe あっとまーく fh.seikei.ac.jp にご連絡ください。折り返しご連絡いたします。
  • 応募は6月下旬まで受け付けております。


写真は私たちの大切な記録です。しかし、写真は撮影者による管理を離れると、いつ、どこでの写真かわからなくなることが多々発生し、埋もれ、また、散逸してしまいます。
東京オリンピック前後からすでに50年が経ちます。貴重な写真を残していくための機会ともなりますので、ぜひ当時の写真をお持ちの方、ご応募いただければ幸いです。
応募いただいた写真は、報告書の作成などで活用させていただきます。また、デジタル化してご提供時にご教示頂いた情報とともにアーカイブとして保存することで、今後の地域資源として活用できるようにいたします。ぜひご協力をよろしくお願いします!


文責:渡邉大輔(担当講師)

2015年5月11日月曜日

東京オリンピック選手村の食堂ボランティア

武蔵野市体育協会に調査協力のお願いをしていたところ、関係者のお一人で東京オリンピックの際、選手村の食堂でボランティアスタッフをしていたという方からご連絡をいただきました。
本日、担当教員の渡邉がお会いし、今週の講義時に学生がインタビュー調査をおこなうことになっています。急なお話ですがご快諾いただき、本当に感謝しています。

写真は当時スタッフに配布された選手村の『食堂サービス手帖』。その他にも、写真などの貴重な資料をデジタル化するためにお預かりしています。さて、どんな話を学生が聞きだすことができるでしょうか。乞うご期待。

表表紙。
1964のデザインはシンプルでかっこいいですね。
裏表紙。
日本ホテル協会会長(当時)は帝国ホテルの社長。
 


文責:渡邉大輔(担当教員)

2015年5月7日木曜日

初インタビュー、いざ参らん!

本日は遂に実際にインタビューを行いました!!
1964年東京オリンピックの時に武蔵野市の教育委員会にお勤めだった木村さんに当時の様子をお伺いしました(以下、本人の許可をいただいてお名前と写真を掲載しています)。

インタビュー前にどんな質問をするのか表にまとめたり、司会を決めたり会場をセッティングしたり…たくさんの準備をしても、インタビューは緊張のひと時でした。いつものアットホームな雰囲気とは少し違う、新鮮な回でした。
これからもっともっとみんなでインタビュー上手になっていけたら…!と思います。

さて、気になるインタビューの内容です。1964年の東京オリンピック当時すでに30代だった木村さんは、まったく年齢を感じさせず、地図や写真を指し示しながら熱心に当時の武蔵野市について語ってくださいました。

インタビューの様子

聖火が武蔵野市を通ると決まった時、特別に委員会が立ち上げられたそうで、聖火ランナーや伴走者のユニフォームに東京五輪のエンブレムを縫い付けたという木村さん。特に印象深かったのは東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボール、マラソンで金メダルを獲ったアベベ選手、柔道で絶対的な存在だったにも関わらず倒されてしまった神永選手だそうです。
当時を熱く語る木村さん。
40年以上市役所に勤務され、助役も務めるなど当時の武蔵野市政の中心的役割を果たされてきました

当時の武蔵野市『市報』(1964年10月15日号)1面に掲載された写真。
このユニフォームのエンブレムは、市役所の職員が縫ったものでした

その他にもオリンピック後に、武蔵野市では当時の後藤市長が「ALL市民 ALLスポーツ ALL体育館」を掲げて小中学校への体育館の建設などスポーツができる場所を増やしていったお話や、前回話題になった武蔵野市の銭湯のお話も伺いました。銭湯は当時武蔵野市にあった中島飛行場で働いていた人で賑わっていたのだとか…!
2時間を超えるロングインタビューが終わってほっとした私たちは、吉祥寺で有名な小ざさの最中をいただきながら反省会。メインインタビュアーを務めた紺レンジャーKさん本当にお疲れ様!
次回は本日のインタビューを整理しつつ、発表会に向けてのテーマを固めて行きます。
おたのしみに!


文責:黄レンジャーO